個性の話 その12 【院長】 2019/11/30
 個性の話、第12回目です。
 前回は個性のない集団の個性について考えました。前回の個性のない集団とは、個性が埋没してしまっていると思われる集団、と考えて下さい。その個性のない集団であっても個性は存在する、というお話しでした。個性が埋没していなければ集団は存在を示し輝くという意味でした。
 今回は集団の中の個性についてもう少し考えたいと思います。集団と個性の関係とでも言うのでしょうか。最近、「医学的根拠とは何か」岩波新書、津田敏秀著を読みました。この著書で疫学専門の津田氏は日本の臨床研究や医学教育に統計学への認識が不足している現状を訴えておられます。人間を対象とする研究や教育においては、人間を実験的に扱うことはできませんので、多数の人々(集団)から得られた資料を解析し、対象とする疾患の原因と結果(症状)についての因果関係を統計学的に推論することが求められる、としています。統計学的に推論するとは、一人一人に個性があっても一旦それらを平均化して扱い比較の対象にする、と考えられます。平均化された個性であっても、それは集団の個性とも言えるかもしれません。もし、ある集団にこれまでとは違った平均化された個性(症状など)が見つかれば、その個性を引き起こす原因が何かあると考えられます。臨床研究とは人間の集団を統計学的に解析して疾患の原因を推定すること、と考えます。
 ところで平均化された個性とは一体何者でしょうか。とりあえず誰にでも当てはまる個性と考えてみましょう。しかし、誰にでも当てはまる個性は本来の個性とは矛盾した考えですね。そこで具体的に考えてみます。例えば、食事のスピードが早い、いわゆる早食いの人はゆっくり食事する人とは違います。早食いは個性です。食事の速度を平均化するなんて無理だ、と考える方は多いと思います。ただし、統計学的に考える時にはそれが可能です。具体的にはゆっくりの食事は0,早食いの人は2,その中間の人は1として数字に置き換えて計算します。つまり個性を数字に置き換えるのです。その結果、食事の速度の平均が1.5とかになるのです。この集団の食事速度は1.5、誰にでも当てはまる個性です、と言った具合です。平均化された個性は、個性の消滅ですが集団の個性として生まれ変わります。
 今回はここまでです。実際の臨床の現場では個人々の治療が求められます。個性がありますので治療は少しずつ異なります。統計学を用いて集団から得られた平均化された個性をどのようにして個性に反映させるかが大変重要です。
 次回は集団から得られた平均化された個性を本来の個性に復活させる方法を考えます。そうでないと個性が浮かばれませんので。

  個性の話 その11 【院長】 2019/11/05
 今回は個性のない集団の個性についてです。何のことかさっぱり分からない方のために復習します。前回、動物実験に用いた99.9%遺伝的に均一(inbred)のはずの近交系ねずみ集団であっても,発癌物質に対する感受性が異なり100%がんになることはない、といったお話しをしました。つまり遺伝子がほぼ同じでも個性は別、ということになります。その理由はいろいろ考えられます。0.01%以下のほんのわずかな遺伝子の違いが個性の違いとなる、という考え方。遺伝子以外の要因が遺伝子の発現に影響する、という考え方。遺伝子にはお互い相互作用があって、その作用によって遺伝子発現が強まったり弱まったりするため、それが個性となる、といった考え方。などなど考えればきりがありません。しかし、これらの考えは既に現代の遺伝学では知られています。私のオリジナルな考えではありません。残念ながら私は遺伝学が専門ではありませんのでこれ以上うまく説明できません。ただ “ 見かけ上 ” 個性のない集団であっても、個体としては異なっている、と考えられます。興味のある方は、私の曖昧な考えを確かめるためにも遺伝学を勉強してみて下さい。
 反対に、個体としては違っていても全体として一つになることはありますね。
 集団行動です。よさこい祭り、阿波踊り、あるいはイワシの群れ、ムーの群れなどなどです。あの統一感には痺れますね。一人一人の人間あるいは一匹一匹の動物は違っていても全体の行動は一つです。個性はどこに行った、と思われますが一人一人(一匹一匹)ははつらつと(いきいき)しています。集団行動であっても個性は発揮される、と考えます。ラグビー日本代表のone teamですね。
 今回は個性のない集団であっても個性は存在する、というお話しでした。

  個性の話 その10 【院長】 2019/09/25
 今回は個性のない集団について考えます。個性のない集団とは一体何でしょうか。想像できますか。毎日、同じ職場で同じ仕事を繰り返し、のほほんと過ごしている方々は自分のことかも、と思ったことでしょう。実は動物実験に用いるねずみの集団です。ねずみと言ってもどこにでもいる野生のねずみではありません。系統正しい折り紙付きのねずみ集団で、近交系ねずみ(inbred mouse)と言います。このねずみ集団を作り上げるには特別な手法と手間がかかります。その手法とは、ねずみの兄妹または姉弟の近親交配を20世代以上続けることです。ねずみが生殖可能になるまでの期間を約2ヶ月として、20世代だと約40ヶ月以上ですから、上手くいっても4年弱かかります。一般的には近親交配で誕生した子どもでは潜性形質(以前は劣性形質と言われていた)が顕在化し生存が難しくなりますので、新しい近交系を樹立することは大変難しいことです。それを乗り越えて20世代以上近親交配が継続出来た場合には遺伝子的なバックグラウンド(遺伝子99.9%が同じ)を揃えた近交系のねずみが誕生します。このねずみ集団は体や顔の形、毛の色、しっぽの長さ、性格(?)などそっくりで個体の区別がつきません。まさに個性のない集団です。最もどんなねずみでも、個体差は判別しにくいのですが。すでに多くの種類の近交系ねずみが樹立され販売されています。これらの近交系ねずみは個性のない集団ですから、均一性が求められる動物実験に用いられます。
 具体的な動物実験のお話しをしましょう。個人的な話になりますが、私が東京大学医科学研究所に研究者として勤務していた頃、この近交系ねずみを使って発がん性のある物質を探す研究をしていました。発がん性のない普通の飼料を与えた対照群のねずみと、発がん性の可能性のある物質含んだ飼料を与えた実験群のねずみで、それぞれの群のがんの発生率を調べ、実験群で有意に発生率が上昇すれば発がん性の可能性のある物質は発がん物質と認定されました。発がん物質である認定はねずみの数にも拠りますが、がんの発生率が50%程度あれば堂々と発がん性ありとの結論が出せました。ねずみ集団には、個性があっては結果に影響しますので、99.9%同じ遺伝子の個性のない均一性が求められたのです。しかし、私はこれらの研究に大きな疑問を感じていました。その疑問とは個性のない均一なはずのねずみ集団なのに、なぜ100%にならないのか、ということでした。発がん物質かも知れない物質を与えられた実験群のねずみ集団はみな同じ反応を示すわけではありませんでした。この疑問はいまだに解決しておりません。ただ、個性のない集団ですあっても個性はある、と考えれば矛盾はありますが納得がいきます。矛盾は大切な思考の源(みなもと)です。
 折角ですから、次回は個性のない集団の個性についてもう少し考えてみようと思います。

  個性の話 その9 【院長】 2019/08/30
 今回は個性と検査値です。皆さんは会社や自治体などが行なっている健康診断で血液検査を受けられたことがあると思います。血糖値、コレステロール値、肝臓の機能や腎臓の機能、貧血などが良く調べられる検査項目です。これらの検査には基準範囲と呼ばれる、いわゆる「正常範囲」が設定されています。基準範囲の設定は出来るだけ多くの「病気ではない人」を調べて検査値の分布を作成します。その分布は一般的には正規分布と呼ばれる分布になることが知られています。正規分布は富士山みたいに左右対称で中央が尖った山の形をしています。その分布の右側の2.5%を占める面積と左側の2.5%を占める面積を除いた中央部分の95%の面積を占める人々が基準となります。基準範囲を示す値は右側の2.5%の面積の始まる点を上限値、左側の2.5%の面積が始まる点を下限値と言います。この説明を図にすると分かりやすいので下に示しました。言葉で説明すると分かりづらいですね。ともあれ基準とは95%の人々が含まれること、と理解して下さい。はじき出された5%の人々は「病気ではない人」ですが基準外となった人々です。もちろん検査値が基準範囲外となれば、何かおかしい、病気かも知れないと疑われます。
 ではどうして検査値がばらつくのでしょうか。ここに個性が登場します。NHKスペシャルシリーズ人体II「遺伝子」をご覧になりましたか。この番組のなかで人の個性に関係する遺伝子について語られていました。これまでゴミ遺伝子と呼ばれていた遺伝子の98%を占める部分は、今ではトレジャーDNA (treasure DNA ; 宝物DNA) と呼ばれています。つまりこの部分は宝の宝庫という意味です。宝物DNAの中に私たちの容姿、性格、才能など様々な個性を決める情報が存在するというのです。個性は宝物DNAが決めている。従って検査値の一人一人違い、つまりばらつきもこのDNAの違いによる、ということです。
 一部の人の宝物DNAの中には、珍しいけれど素晴らしい体質や能力、例えば病気に抵抗性を示すためのDNAや毒を解毒する代謝能力を示すためのDNAがあるようです。そのDNAの働きを解明し、その他大勢の人々のために応用できれば素晴らしい価値が生まれ宝物となる、と考えられているようです。今後は宝物DNAの解析が更に進み、宝物DNAにたくさんの宝物が見つかると良いですね。個性についても遺伝子レベルで解明されることでしょう。宝物DNAは検査値のばらつきを説明するだけで無く無限の可能性を秘めているようです。宝物DNAが宝の宝庫と言われる理由です。
 今回は検査値のばらつきに影響する個性(宝物DNA)について少しだけ考えました。


※図の中のσは(シグマ)と呼ばれ標準偏差(ばらつきを示す度合い)を示します。

  個性の話 その8 【院長】 2019/08/02
 今回はがんの個性の続きです。前回は “ がんの個性 ” について、半世紀も前に研究がスタートしたお話しをしました。がんに個性がある、と考えたのは創造的な考えを持った研究者です。がん細胞自身が自分には個性が備わっていると自ら主張している訳ではありません。がんの個性はただ漫然とぼーっと顕微鏡で細胞を眺めていただけでは気づきません。個性を見つけ出すためには創意工夫が必要です。
 私はがんの個性に関する研究の一端を担っていて、研究テーマはがん細胞の運動性でした。周囲の組織に浸潤したり、遠くの組織に転移したりする悪性度の高いがんと浸潤や転移の少ないおとなしいがんの間には、がん細胞の運動性に差がある、と思いました。ただし、ぼーっと細胞を眺めていたのでは運動性は分かりませんので、運動性の差を調べるためにある方法を応用しました。それは一つ一つの細胞を立体的な三次元で培養する方法でした。細胞を三次元に閉じ込めるためには寒天を使いました。寒天濃度が高いと堅く固まってしまい細胞は身動き出来ず、増殖も出来なくなりますが、ほんの少しだけ培養液に寒天を溶かすと一つ一つの細胞は培養液の空間に緩やかに固定されます。この柔らかい寒天を含んだ培養液の中でがん細胞は増殖可能でした。実はこの現象は既に知られていて、がん細胞は増殖可能ですが、正常細胞は増殖不可能で、がんと正常を区別する優れた方法だったのです。私はこの方法を運動性の測定に応用したのです。つまり、運動性のあるがん細胞は三次元でも活発に動き回り、運動性の少ないがん細胞はじっとして動かないことが分かりました。何とかがん細胞の運動性に個性があることを証明できました。その後、がん細胞に個性があることは次第に知れわたりがんの研究の主要な柱になりました。
 がんの個性の発見とその特徴は、現在では個別化されたがんの治療、とくに肺がんの治療に結びついていると思います。がんの個性(特徴)を治療に結びつける発想は既に半世紀前に始まっていたと言っても過言ではないでしょう。
 ぼーっとしていては、個性は見つかりません。ぼーっと生きてんじゃねーよ、と言われないように、いつも何事にも関心を持って生きて行きたいですね。

  個性の話 その7 【院長】 2019/07/02
 今回は個性と科学性です。前回の VBM (value-based medicine) と科学性の話で VBM については個性的(患者中心)な医療であることが浮き彫りになりました。個性的な医療を支える医療の科学性については前回お話ししました。繰り返しますが、EBM(evidence-based medicine)は科学性を支える大きな柱の一つです。今回は、反対に科学性に対して個性はどのような影響を及ぼすのかを考えてみました。
 以前に個性の話2で個性とはその存在を示すために必然的に備わっているもの、と考えたことがあります。これからの個性の話は基本的にこの考えに基づいています。ただ、個性といってもこれから登場するのは “ がんの個性 ” です。しばらくお付き合い下さい。今から約40年前、私が東北大学農学研究所の大学院生だった頃、農学の研究とは関係のないがんの研究に興味を持ちました。たまたま当時の東北大学抗酸菌病研究所(現東北大学加齢医学研究所)、肺がん部門でがんの転移の研究されていた佐藤春郎先生の研究室の門を叩く機会に恵まれ、佐藤先生の大きな配慮で研究が許されました。研究室の研究テーマは、がんの転移のメカニズムを解明することでした。私のテーマは、がんの転移に関連するかも知れない、がんの運動性でした。研究に用いたがん細胞は、日本のがん研究の草分け的存在である吉田富三博士と佐藤春郎先生をはじめとする一門の研究者が発見した多数の種類のネズミの腹水肝癌でした。多数の腹水肝癌は転移の仕方が一つ一つ異なり、ネズミの体全体に転移する悪性度の高い種類もあれば、もとのところに留まってなかなか転移しない悪性度の低い種類もありました。この特徴を吉田先生やその門下の研究者は “ がんの個性 ” と呼んで、がんの個性が転移の仕方に影響を与えている、と考えていました。つまり “ がんの個性 ” のどんな個性が転移に影響をあたえるのかを研究室全体で調べていたのです。その中で、私の研究テーマはがん細胞の運動性でした。“ がんの個性 ” の発見とその特徴の究明は当時のがん研究の中心だったと思います。個性を一つ一つ調べて全体を解明するといった研究方法は、個の研究から普遍的な法則を導き出す演繹法(えんえきほう)に近づいていると思います。
 折角ですから、次回ではがん細胞の運動性を研究した結果をお話しし、“ がんの個性 ” の研究が現在のがん治療に役に立っていることを追加したいと思います。

  個性の話 その6 【院長】 2019/06/06
 今回はVBM ( value-based medicine ) と科学性です。VBM についてはこれまでに2回取り上げましたがもう少し深く考えてみたいと思います。
 VBM とは質の高い医療の提供とその有効的な利用という意味に解釈しました。そのためには患者側と医療者側の双方の価値観に見合った治療法が選択されます。これまであまり重視されなかった患者さんの治療に対する意向(価値観)が反映されて治療法が決定されますので、患者一人一人違った治療になるわけです。二十一世紀の世界的な医療の流れはEBM ( evidence-based medicine ) に基づき、患者中心で医療経済的な視点を考慮して行なわれる、とされています。これこそまさに VBM そのものです。
 そこで VBM と EBM の関連について考えます。すでに EBM についてはよく知られていますので簡単に述べます。EBM は “ 根拠に基づく医療 ” と訳されています。科学的に検証された臨床データに基づいて患者にとって有効な治療法を選択する医療です。科学的に検証された臨床データを得るために大規模なランダム化比較試験(大規模臨床試験)が用いられます。一般的に科学的に検証されたデータとは客観性(適切な研究方法に基づいて誰しもが納得すること)と再現性(あるいは普遍性)が求められます。臨床試験では再現性(何回も試験をして同じ様な結果を得ること)を求めることは難しいため出来るだけ多数の人々に参加してもらい、多くのデータを得ることで代用します。VBM には科学性に裏付けられた EBM は不可欠と言えそうです。また、医療経済的な視点について科学性を説明することは難しいと思いますが、例えば薬価や診療費などの決定過程に透明性が保たれ、結果については誰しもが納得するもの(普遍性)であればある程度は科学性が裏付けられます。
 今回、VBM と科学性を取り上げた理由は、VBM では患者側と医療者側の双方の価値観に見合った個別的な治療法が選択されるわけですが、個別的と言っても決して双方の主観的な価値観ではなく、科学性に基づいて誰しもが納得する治療であることが必要、と感じたからです。VBM にこそ科学性が求められる、と思いました。
 次回は個性と科学性について考えたいと思います。

  個性の話 その5 【院長】 2019/06/01
 今回は個性の話、第5回です。
 前回はValue-based medicine (VBM) について考えましたが、個性との関連性は述べませんでした。その理由は、VBMは患者や医療者双方の価値観に基づいた治療と考え、何となく個性的な医療と思えましたので個性の話にかこつけたのです。つまり明確な関連性は分からなかったためです。しかし、今後も少しずつそれらの関連性は考えて行きます。
 そのため今回はもう少し VBM と糖尿病治療について考えます。糖尿病は1型糖尿病、2型糖尿病、妊娠糖尿病、その他特定の機序、疾患によるものに分類されます。特に1型糖尿病は自分のインスリンが血糖コントロールにとって絶対的に不足しますので基本的にインスリン注射は毎日欠かせません。それが一生続くと考えると、身体的負担、精神的負担、経済的負担は想像を絶します。しかも発症時期が若い人が多く、0歳からでも発症します。1型糖尿病は条件を満たせば障害者に認定されますが、もっと保障が手厚い難病に指定されてほしい疾患です。2型糖尿病の治療は食事・運動療法のみから内服治療、インスリン治療など様々です。患者さんの糖尿病の状態が深刻化否かで治療法が選択されます。さらに患者さんの治療に対する意向(価値観)も反映され、治療法が決定されます。一人一人違った個性的な治療になるわけです。糖尿病治療は典型的な VBM に基づく医療と言えそうです。ここで個性とVBMとの関連が少し見えてきました。
 一方、 VBM は医療の一分野ですので医学が基礎になっていなければなりません。医学は科学の一分野です。そのため VBM にも科学性が求められます。患者さんや医療者双方の価値観に基づくVBMに求められる科学性とは何か、という問題が浮かび上がってきます。そこで次回は VBM と科学性について考えます。

  個性の話 その4 【院長】 2019/05/20
 今回は個性の話、その4です。
 前回でお知らせしたvalue-based medicine (VBM;価値観に基づいた医療)について考えてみました。Evidence-based medicineはよく知られていますが、VBMについてはまだよく知られていないと思います。VBMを提唱した人が誰だかはっきり分かりませんが、2005年にBrown MM らが著書の中で詳しく説明しています。しかし、英語の本ですので理解するのに時間がかかります。この本の最後でVBMについてvalue-based medicine = Improved quality of care + Efficient use of healthcare resources と述べています。VBMとは質の高い医療の提供とその有効的な利用という意味に解釈しました。この意味を一言で表わすのは難しいのですが、大切なことは価値観に基づく医療とは患者一人一人の医療に対する価値観だけでなく、医療者側の様々な職種につく人々の考えや立場を反映した医療に対する価値観も指していることだと思います。有効的な利用とは治療効果だけでなく経済的にも患者の考えに見合っていることだと思います。従って一つの治療法に集約することは簡単なことではないでしょう。
 糖尿病の治療について考えてみました。職場の健康診断で初めて血糖値が高いので医療機関を受診して下さい、と言われた方が窓口に現れました。すぐに食事療法と何らかの治療が必要な状態でした。最近では初めて高血糖を指摘された患者に対して糖尿病と診断された場合はインスリン治療が行なわれることが多くなりました。それは出来るだけ早期にインスリンを投与することによって、患者自身のインスリン分泌を回復させ、インスリン治療を止めた後でも自分のインスリンの力で血糖値を下げる効果があるためです。しかし、インスリン治療の治療費は内服薬を使用する治療法より高くつきますし、さらにインスリンを使うといった印象が良くありません。インスリン治療のメリットとデメリットをしっかり説明することが大切です。インスリン治療が “ 良いから ” と言って、押しつけるわけには行きませんので。
 これからは患者と治療者の双方の価値観に見合った治療法が選択されなければならないでしょう。

  個性の話 その3 【院長】 2019/04/01
 個性の話の3回目です。これまでの個性の話を振り返ってみます。第1回で個性は人に対しては性格、人格、人柄、品格に相当し、事物に対しては特性、特色、特質などに相当すると思われると考え、事物よりも人に対して使うことの方が多い気がすると書きました。第2回では、個性は偶然にそこに “ 存在する ” ものではなく、必然的にそこに “ 存在する ” ためにあるものと思われると考え、特徴的な例外を伴って自分を “ 表現する ” ためのものと書きました。つまり、個性とは事物の存在を示す特徴ということでしょうか。
 以上の話は抽象的で分かりにくいので、具体的に「自分の存在を示す特徴」とは何か、について考えます。今回は医療分野で話題のprecision medicine (精密医療)を考えながら個性について考察します。
 Precision medicine とは2015年1月のオバマ前米国大統領の一般教書演説に登場した言葉です。患者の治療に当って最適な方法を選択して施術すること。例えば、肺がんの治療では個別的に肺がんの特徴を遺伝子レベルで調べ、その特徴に見合った抗がん剤を使用することです。これまでパーソナライズ医療(personalized medicine)と言われていた個別化した医療とほぼ同じと考えられますが、precision medicine では個別化の精度をさらに向上させて治療に結びつけること、治療対象を富裕層のみならず、中間層や貧困層にも拡大させたことが特徴です。個別化の精度向上を可能にした背景には、遺伝子レベルでがんの特徴、つまり “ がんの個性 ” を調べる技術が進歩したからです。Precision medicine を成功に導くには疾患に潜む個性を発見することが大切です。これからの治療にはそれぞれの疾患の個性を考慮した治療法の選択が求められることでしょう。今回は事物の個性を病気の個性に置き換えて考えました。
 次回はvalue-based medicine(VBM; 患者の価値観に基づいた医療)について考えます。

  個性の話 その2 【院長】 2019/03/01
 前回の最後に印をインではなく “ しるし ” と考えてみました。
 再度、デジタル大辞泉で “ しるし ” の意味を調べてみますと、

1. 他と紛れないための心覚えや、他人に合図するために、形や色などで表したもの。目じるし。「非常口の―」「持ち物に―をつける」
2. 抽象的なものを表すための具体的な形。 
  (ア)  ある概念を象徴するもの。「平和の―の鳩」「純潔の―の白い衣装」
  (イ) (証)ある事実を証明するもの。証拠になるもの。「見学した―にスタンプを押す」
  (ウ) (証)気持ちを形に表したもの。「感謝の―に記念品を贈る」「お近付きの―におひとついかがですか」
3. 所属・家柄などを表すもの。記章・旗・紋所など。「会員の―」 

などの説明がありました。つまり “ しるし ” は存在を表わす言葉と理解できます。英語の個性に相当する単語、characteristicsとcharacter から印が浮上し、印を “ しるし ” と考え、それが存在を表わすと考えれば、個性は存在を意味する、と考えてもよさそうです。個性的とは存在感がある、とも言えそうです。反対に存在するためには個性が必要だ、とも言えませんか。
 個性は、偶然にそこに “ 存在する ” ためのものではなく、必然的にそこに “ 存在する ” ためにあるもの、と考えます。例外の話の中で、例外と個性の共通点は双方が持っている「必然性」で、例外は個性の表現型、と考えました。つまり、個性とは特徴的な例外を伴って自分を “ 表現する ” ためにあるもの、と言えそうです。如何ですか。
 さらに、お説教的な言い方をすれば、個性を生かすとは、まず自分の個性に気づき、努力して個性を磨き、それを表現する、ということでしょうか。
 今回は、すこし上から目線のお話しでした。

  個性の話 その1 【院長】 2019/02/05
 今回は個性について考えてみました。
 実は例外の話の第17回目で、例外と個性の関連について考えたことがあります。そのなかで“双方とも個体や組織において無くてはならない必須で無視できないもの、別の言い方をすれば、個体や組織を特徴づけるもの、と言えないでしょうか。例外は個性の表現型”、と考察しました。この時はこれ以上深く考えずに今後の課題としましたが、今回もう少し深く考えてみることにしました。
 はじめに、もう一度個性の説明をネットで調べました。デジタル大辞泉で個性について調べたところ、個性とは個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。使用例として個性の尊重、仕事に個性を生かす、個性が強い打撃フォームなどが例として挙げられています。Goo国語辞典で調べたときと同じ説明内容でした。デジタル大辞典とgoo国語辞典は同じでしょうか。実際は、使用例のようにはいかず、個性を主張するよりは控えめに振る舞い、仕事で個性を生かし能力を発揮すれば、出る杭は打たれるのが関の山、個性が強い打撃フォームはむりやり修正されて平凡なフォームになり個性が開花しないで結局は埋没してしまうことが多いのではないでしょうか。例外の話17回では触れませんでしたが、個性を人に当てはめれば性格、人格、人柄、品格などが浮かび、事物に対しては特性、特色、特質などでしょう。しかし、個性は事物よりも人に対して使うことの方が多い気がします。英語で個性に相当する単語を調べてみますとcharacteristicsとcharacterがありました。双方ともギリシャ語の“印”を意味するkarakterに由来するそうです。また、characteristicsはcharacterよりも際だった、突出するような特徴を表わすそうです。 “ 印(イン) ” をデジタル大辞泉で調べますと、個人・団体・官職のしるしとして文書に押し、その責任や権威を証明するもの、でした。個性とは少し意味が離れているように思います。一方、印を “ しるし ” と考えると別の意味が浮上してきました。
 今回は長くなりましたのでこの続きは次回はとします。

  例外の話 第24回目 【院長】 2018/12/03
 例外の話 第24回目(最終回)です。
 前回は地球上に例外は存在しない、例外は客観的世界(自然界)には存在せず人間が作り出した主観的な考えではないか?という話でした。もしそうなら自然界では例外と考えられる一例一例はただの例となります。これまで時間をかけて例外について考えてきましたが、個人的にはとりあえず、例外とは人間が考え出した考え、と結論します。ただ、人間社会には例外は存在しますので簡単にその存在を否定したり、無視することは出来ません。今回で例外の話は終了しますが、個人的には、今後もさらに深く例外について考えて行きたいと思っています。これまで長らく例外の話におつきあいして頂き感謝申し上げます。
 さて、今年も残り少なくなりました。この1年を振り返ってみますといろいろなことがありました。なかでも横浜市立大学データサイエンス学部の汪教授との共同研究は論文までには至りませんでしたが充実した討論が出来たと感じています。いまはやりの人工知能 (AI) についてですが、汪教授とは討論を通じて、AIの発展には統計学的を背景とする数学的な裏付けが欠かせない、という認識で一致しています。AIの技術的な発展には目を見張るものがありますが、発展を支える数学的な発展が求められています。医療分野にもAIはどんどん進出しています。臨床診断にもAIが活躍する時代がやって来そうです。Real world data と言われる、医学分野のあらゆるデータを全て活用する統計学は今後注目されそうです。私たちも来年には更なる進歩を遂げたいと思っています。

  例外の話 第23回目 【院長】 2018/11/01
 例外の話 第23回目です。
 今回は再度例外そのものについて考えてみます。これまでさまざまな角度から例外について考えてきましたが、基本的には例外の存在を認め、例外は発展性を包含していると考えてきました。だから例外は大切な存在、とも述べました。一方、第18回の例外の話では、地球上では無限の可能性があり、無限の中では例外は存在しないのではないか、もしかしたら例外は私が勝手に考えていただけかもしれません、無限の世界に例外は存在しない、と考えると少し不気味な話になりますね、と書きました。さらに、第22回の例外の話で、Real World Dataについて考察した時に、統計解析に用いる患者さんは例外なく全ての患者さんが対象になる、とも書きました。無限の世界やReal World(現実)とはこの地球上の世界に他なりません。つまり、実際の現場(現実の世界)について考えるときには、例外は存在しないのではないかと思われます。この現実の世界、つまり客観的な世界には例外は存在しないとなると、例外は人間の思考が作り出した主観的な考えではないか、思うようになりました。例外は人間の思考の産物と言うことでしょうか。それなら、思考の産物、例外には何か存在理由があるでしょう。区別、差別、誤差、違い、特徴、特長、ずれ、ゆらぎ、相違などと何となく関連しているような、いないような感じがします。統計学で使う有意差は例外という範囲を設定しなければ生まれない考えでしょう。
 今回は例外とは人間が作り出した主観的な考えではないか、という話でした。

  例外の話 第22回目 【院長】 2018/10/12
 例外の話 第22回目です。
 今回は例外そのものを考えるのでは無くて、最近話題のReal World Evidence (RWE)について考えます。例外は少しだけ後半部分に登場します。
 ところでRWEとは何でしょうか。臨床医学の分野では実臨床データ(Real World Data:RWD)に基づく解析結果(証拠)と訳されているようです。実臨床とは実際の臨床現場のこと、例えば外来、入院、職場の検診、人間ドックあるいはスポーツジムなどが相当し、Real World Dataはそこから得られる人間に関するあらゆる種類のデータを意味します。例えば外来患者さんから得られるデータといえば身長、体重、年齢、性別、血圧、家族の様子、疾患名、飲んでいる薬、体調、血液検査結果、画像診断結果(X線検査、MRI検査、心電図など)、薬の副作用、趣味、喫煙状況、飲酒状況など沢山有ります。これらは入院患者さん、人間ドックを受けた人からも同様に得られますし、スポーツジムに通っている人からは血圧、体重、趣味などでしょうか。
 これまでの臨床試験のデータといえば、臨床試験の性格に見合う患者さんや健常者が対象でした。その人たちは限られた範囲の年齢、性別、病気の種類や状態、合併症の有無、人数など厳しくチェックされています。そのため解析結果は一番信頼性の高い証拠として認識されていました。例えば高血圧症患者さんへの薬の効き目を調べる臨床試験では対象となる患者さんの年齢は絞られます。しかし、実際の臨床現場では高血圧症の患者さんは臨床試験の時と比べ若かったり、オーバーしていたりと様々です。ですから限られた範囲の患者さんから得られた薬の効果はそれ以外の患者さんに使用する時には明確ではありません。おそらく大丈夫だろうということで使用することになります。そこで実際に年齢が若い患者さんやオーバーの患者さんへの効果を調べて見ようという発想が生まれたのです。それが実臨床のデータ、すなわちReal world Dataと言うことでしょう。ここでは例外なく全ての患者さんが対象となります。例外なく得られたデータは莫大な種類と数になると思われます。従ってそれを解析する理論はこれまでに無い新しい理論が求められるでしょう。おそらく全世界で研究が行なわれていると思います。私たちも乗り遅れること無くRWDに立ち向かいたいですね。Real Worldとは例外の無い世界ということでしょうか。

  例外の話 第21回目 【院長】 2018/09/03
 例外の話 第21回目です。 
 前回20回目では無駄とは何かを考えてみました。今回の後編では例外と無駄について考えます。その前に、もう一度復習します。goo国語辞典では例外とは、通例にあてはまらないこと、一般原則の適用を受けないこと、決まりや法則が及ばないもの、です。無駄とは役に立たないこと、それをしただけのかいがないこと、無益、です。これらの説明から、例外と無駄の関連性を想像するのは難しそうです。なんとなくですが、例外はアウトサイダー的、無駄は前回の話では役に立たなくても必要と考えましたが、役に立たないイメージが強いですね。双方ともネガティブ的な感じがします。
 そこで、「例外なんて存在しない」、と例外を否定してみました。否定してみたら不思議と例外を意識するような感覚、つまり「例外とは何だろう、といった感覚」が湧いて来るように思います。また、「無駄なんて存在しない」と無駄も否定してみました。すると「無駄とは何だろう、といった感覚」が湧き、無駄の存在感が出て来るように思います。双方とも存在感を増し、少し力強い感じになってきた。例外も無駄も否定してみると存在感が出てくるといった特徴が有りそうです。つまり、例外や無駄はその中に否定的な側面を持っていてそれを否定することによって肯定される、言わば否定の否定で肯定される、といった側面があるのでしょうか。例外と無駄に共通する意味ははっきりしませんが、双方とも否定されると拘束がはずれ、それぞれの特徴が地底から浮かび上がるように顔を出す、ように思います。
 茄子の花は千に一つの無駄がない。なすの花は一つも落下することなく(例外なく)全部実になるよ、と言うことです。

  例外の話 第20回目 【院長】 2018/08/01
 例外の話 第20回目です。
 前回は医療分野でのAI活用の難しさについて少しだけ浅く考えました。読者の皆様からは難しくてよくわからなかった、と不評でした。お伝えしたかったことは医療分野ではAIは医療技術に対しては貢献すると思うが、診断には難しい、と言いたかったのです。しかし、その困難を乗り越えていつかは新しい理論が誕生すると思います。そこに私たちも貢献したいですね。私たちと言いましたが、さて私と誰でしょうか?汪先生です。汪先生は千葉大学理学部数学科から今年の4月に新設された横浜市立大学データサイエンス学部へ移られました。これまで同様教授として活躍されておられます。データサイエンス学部は日本ではまだ新しい学部で、これまで同様統計学を応用してビッグデータを解析したり、さらに新しくベイズ統計学を応用したデータ解析法の開発を目指しているようです。まだ誕生したばかりの学部に期待したいですね。汪先生と私とのセミナーも定期的に行なわれています。研究は、以前当院の近況報告でお話ししました医学と数学を結合させた医療統計学です。今でも研究は進行中で、私たちの新しい統計学も前進させたいと思っています。
 さて、今回は無駄と例外のお話の前編です。前編では無駄とは何かを考えます。後編では無駄と例外について考えます。では、無駄とは何でしょうか。いつものようにgoo国語辞典で調べてみました。役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。また、そのさま。無益。例として「無駄な金を使う」、「時間を無駄にする」。ネガティブな感じですね。一方、「いま無駄なことでもいつか将来役に立つ」、「人生に無駄なんて一つも無い」といった例もあります。粘り強いポジティブな感じです。食いついたら離れないスッポンみたいですね。
 今回の前編では、無駄とは役に立たなくても必要なものと考えておきましょう。では次回の後編にご期待下さい。

  例外の話 第19回目 【院長】 2018/07/02
 前回は無限の世界には例外が存在しないかも、というお話しでした。
 今回は再度例外とAIです。一般にAIの学習方法はニューラルネットワークと呼ばれる人間の脳の神経細胞の働きを真似した方法でもあります。神経細胞には、外界からの刺激(例えば痛み刺激)が皮膚の神経細胞を刺激し、その刺激が脳の神経細胞に伝わるためには、それぞれの神経細胞が興奮する(刺激をつたえる)必要があります。神経細胞の興奮には、閾値(いきち)が存在し、それを超えないと興奮しない、という仕組みがあります。つまり閾値というハードルです。ハードルを超えればOK、超えられなければゼロとなります。AIはいろいろな情報を統合して0か1を判断します。この判断する仕組に統計学が使われます。
 最近、畳み込みニューラルネットワークと呼ばれるAIが登場し話題となっています。画像認識、例えば顔の認識などに応用されています。この方法は得られた複雑な情報を畳み込み層、プーリング層と言った何層かの篩いに掛けて単純化し結論を導くものです。臨床医学でも畳み込みニューラルネットワークを用いて多数の眼底写真から特定の眼科疾患を診断出来るような研究が行なわれています。その結果、経験を積んだ医師と同じくらいの診断精度があげられています。
 確かに、画像認識のように複雑から単純へと進むことが出来る分野では畳み込みニューラルネットワークは有効だと思います。しかし、現実の臨床医学では多数の例外(個人毎の違い)が存在します。少し複雑な症状であっても個人の違いによりさらに複雑な症状へと変化します。例えば、風邪の症状である咳を考えてみます。ある患者さんでは咳に痰が絡むけれど別の患者さんでは痰は絡まないで鼻水がでる、というように患者さんごとに咳に随伴する症状が変れば、風邪の診断は単純化するのではなく複雑化することになります。医療分野では例外の存在によって病気の診断は個別化(例外化)し複雑化すると考えられます。従って、畳み込みニューラルネットワークというAIは医療分野では有効活用しにくいのではないかと思います。
 今回は医療分野でのAI活用の難しさについて少しだけ考えました。

  例外の話 第18回目 【院長】 2018/05/28
 これまでいろいろなテーマで例外について考えてきましたが、基本的には例外の存在を認め、例外は発展性を包含していると考えています。だから例外は大切な存在です。
 さて今回は例外と無限のお話しにしました。難しそうなテーマですね。皆さんは無限について考えたことはありますか。あまり真剣に考えると頭が痛くなり、精神的に追い詰められそうですので軽く考えましょう。つまり無限とは限りが無いこと、永遠にどこまでも続くこと、などと考えるのは如何でしょうか。そんなの当たり前だ、と叱られそうです。しかし、当たり前が重要です。当たり前の感覚で考えることが無難だからです。いきなり難しいことは考えられませんので。 
 当たり前の感覚で無限について考えると先ほど述べた説明になりますが、さらに無限とは「考えられる全てのことが起こる世界」とも言えませんか? 良いことも悪いことも全てです。例えば、地球上の出来事を考えてみましょう。地球が誕生してから起こった自然現象や生物の進化、人類の進歩などは無限に考えても数え切れない様々なことが起こった可能性があります。このことはしっかり実証しなければなりませんが、とりあえず大まかに考えて下さい。そう考えると地球は無限の可能性に場所を提供してきたとも言えませんか? では例外と無限はどんな関係でしょうか。 
 「例外なく全て・・・」という言い方があります。例えば、「例外なく全ての生徒に学校給食を提供します」とか。「例外なく全ての人間には限られた寿命があります」とか。もっと直接的な言い方をすれば「例外なく全ての生命は死にます」とか。地球上では考えられる全てが起こりうる、と考えると地球上には例外が存在しないのでは?と疑いたくなります。これまで例外の存在は無くては成らない必須で無視できないものと考えてきましたが、例外の存在は私が勝手に考えていただけかもしれません。無限の世界に例外は存在しない、と考えると少し不気味な話になりますね。
 不気味ですので、今回はここまでとして、この続きはまたどこかでお話ししたいと思います。

  例外の話 第17回目 【院長】 2018/05/01
  今回は例外と個性について考えてみます。これまで、第7回目に仲間はずれとしての例外、第9回目に例外と独創性について書いてきました。復習になりますが、goo国語辞典では、例外とは、通例にあてはまらないこと。一般原則の適用を受けないこと。決まりや法則が及ばないもの。「―として扱う」「―を設ける」「―的に参加を認める」という説明がありました。また、例外とは例の外で通常にあてはまらない、またはあらかじめの想定から外れたものとも言えます。つまり想定外です。
 一方、個性とは何でしょうか。おなじみのgoo国語辞典では、個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。使用例として「個性の尊重」「仕事に個性を生かす」「個性が強い打撃フォーム」。などがあります。さらに、2016年に実施された「あなたの言葉を辞書に載せよう。2016」キャンペーンの「個性」への投稿から選ばれた優秀作品には大変機知に富んだしかも説得力のある個性あふれる言葉が並べられています。興味がありましたら、グーグルで「あなたの言葉を辞書に載せよう。2016 goo国語辞典」で「個性」を調べて確かめて下さい。もし私が自分の言葉で個性を表すとすれば“色とりどりに咲き乱れるパンジーの畑”とします。パンジーにした理由はただパンジーが好きだからです。
 さて、例外と個性の関連は何でしょう。それは双方が包含する「必然性」ではないかと考えます。つまり、双方とも個体や組織において無くては成らない必須で無視できないもの、と考えます。別の言い方をすれば、個体や組織を特徴づけるもの、と言えないでしょうか。例外は個性の表現型とも言えそうです。例外と個性の関連については、まだまだ個人的で抽象的な言い方ですが、今後両者の関連をさらに深めたいと考えています。

   例外の話 第16回目 【院長】 2018/04/01
 今回は例外と差別の話です。
 例外の話第12回目で例外を受け入れることの大切さを考えてみました。その中で例外を受け入れるために寛容性と忍耐力が必要では、と述べました。さらに学校の先生には“ちょっと変わった子”を受ける寛容性と忍耐力を持って欲しいですね、と締めくくりました。その時ははっきり述べなかったのですが、“ちょっと変わった子”とは例外を意味していました。このブログを目にした読者からコメントを頂きました。その方は小学校の先生です。“ちょっと変わった子”という表現は差別的な意味を含むので注意して使った方が良いですよ、というコメントでした。確かに、“ちょっと変わった子”を通例にあてはまらない変わった子と、差別的に考えることも出来ます。そしてブログでは“ちょっと変わった子”を例外と考えたのですから、例外は差別に繋がると考えるのは当然でしょう。実は、これまで例外についてさまざまな角度から考えて来ましたが、例外の負の側面は考察しませんでした。今回、例外は差別に繋がるという指摘は大変重要と受け止め、私自身さらに慎重に例外を考えるきっかけとなりました。そこで折角ですから“ちょっと変わった子”の意味を少し再考したいと思います。いろいろ考えた結果“ちょっと変わった子”とは“個性の豊かな子”にしたいと思います。例外を個性の現れと考えてみました。そこで次回は例外と個性のお話しにしたいと思います。例外のもつ差別感を少しでも減らしたいと考えています。

   例外の話 第15回目 【院長】 2018/03/01
 今回は例外とAIについて考えてみます。最近話題の多いAI(artificial intelligenceの略で人工知能)です。これまでAIの研究には波があり今回は第3番目の波のようです。それもこれまでで一番大きな波と言われています。大きな波となった理由は深層学習(deep learning)という手法が開発されたこと、さらに計算能力の向上つまりコンピュータの進歩があったためのようです。どちらも私の専門外ですので詳しい説明は出来ません。しかし、今回例外とAIを取り上げたことにはそれなりの理由があります。その理由はAIに統計学が使われていることです。さらにAIには例外が必要と思われるからです。使用される統計学は経験を取り込んで学習し、たくさん存在する選択肢の中から、最も高い確率を示す選択肢を選ばせる統計学です。例えば95%の可能性を示すものであれば、それを他の選択肢より価値のある選択肢としてお勧めするでしょう。その時、最も高い確率以外の選択肢はどこに行くのでしょうか。残念ながらそれらは例外として葬り去られるのではないでしょうか、と言うより葬り去られます。AIを実行するのは非情なコンピュータですから人間のように暖かで細やかな配慮はしません。AIの発達によってAIは人間を超えられるか、と言った議論がありますが、もちろん人間を超えることはできないでしょう。AIが進歩すればするほど人間のすごさが分かるとも言われています。
 では、人間らしいAIを作るにはどうしたらよいのでしょうか。あくまでも個人的な考えですが、AIの中に葬り去られた例外を組み込ませたらどうでしょうか。つまり、あえて例外を組み込ませて選択の幅を作るのです。選択の幅を作ることでAIを迷わせるのです。迷い、これこそ人間らしさとは思いませんか。AIが迷った時こそ、人間から示された問題が複雑でしかも重要だぞと判断させ、AIには解決できないと悟らせるのです。迷ったその時、つまり暖かで細やかな配慮が求められる時こそ人間の出番です。人間の特徴の一つ、迷いをAIに持たせましょう。これからのAIが活躍する時代に、例外を組み込ませたAIを作ることが重要と思われるのですが、如何でしょうか。皆様の判断にお任せ致します。もし、その考えは面白いと言って頂けたなら具体的な方法を考えます。今、研究中の新しい?統計学を応用したいですね。

  例外の話 第14回目 【院長】 2018/02/05
 今回は例外と反例について考えてみました。
 “はんれい”は反例の他に凡例、判例、犯例、範例などがあります。今回は反例です。goo国語辞典によれば、反例とは、その定義や命題に当てはまらないことを示す例、仮説に対する反例、とありました。
 具体的に、命題と反例を考えてみました。
 命題: すべての犬は日本犬である。
     反例としては沢山あげられますね。
 命題: 日本人はすべて右利きである。
     これも反例は簡単ですね。
 命題: すべての女性は優しい。
     これは如何ですか?
 命題: すべての男性は気が優しくて力持ち。
     さてこれはどうでしょう。
 こんなに簡単に命題を作って良いのでしょうか。命題に“すべて”を入れれば反例は簡単に挙げられそうです。
 今回反例を取り上げた理由をお分かりでしょうか?それは両者に似たところが有る、と考えたからです。反例は全体からすれば一部分の例に相当します。例外も全体からすればほんの一部分です。一部分と言うところが似ていると、単純に考えました。しかし、例外と反例はまったく同じではないようです。以前、例外は想定外のこと、と説明しました。それに対して反例は想定内と言えます。少し復習になりますが、例外の話第1回で特例について考えたことがあります。そこで特例とは特別な例、特別な決まりや法則のこと。あらかじめ想定して決めた例と説明しました。この意味で反例は特例に近いかも知れません。例外と反例との共通性と相違についてはまだまだ深める必要があり今後の課題ですが、今回はこの程度とします。
 次回は例外とAIについて考えてみます。

  例外の話 第13回目 【院長】 2018/01/09
 新年(2018年)明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
 例外の話13回です。
 今回は例外と思われる事柄を日常生活の中に探してみようと思います。
 日常生活の中での例外、つまり非日常的な例を探します。5つの節句(七草の節句、桃の節句、菖蒲の節句、七夕、菊の節句)、お盆、夏祭り、クリスマス、お正月、入学式、卒業式、さらに出生、成人式、結婚式、葬式といった通過儀礼、その他国民の休日などです。この日には美味しいものを食べたり、決まった行事をしたり、普段とは違ったことをしますね。日常の中の非日常です。これらは例外の日と考えられ、毎年決まった日もあれば、人生で1回きりの日もあります。では、決まっていない例外の日は何でしょうか。そうです。ボーナス日は給料日の例外ですね。しかし、これもほぼ決まっている方も多いでしょう。4年に1度の閏年(うるうどし)は如何でしょうか。これもほぼ決まっています。決まっていない例外の日は成人式以外の通過儀礼の日ですね。もし、これらの日が決まっていたら少し不気味ですね。発想を変えて、スーパーの突然のタイムセール、バーゲンセールや特売日は如何でしょうか。赤信号を無視して渡るときは例外に入るでしょうか。皆さんも探して下さい。
 次に自分の中の例外を探してみようと思います。悪いことでは病気にかかること、寝坊すること、遅刻すること、誤診することなどの失敗例があります。これでは人生が暗くなるので、良いことも探してみましょう。しかし、これがなかなか見つからないのです。なんとさみしい人生を送っていることでしょうか。それでも頑張って探すと、スーパーでおいしそうな牛肉を見つけた時、駅ビルの中で美味しいお店を見つけた時、本屋で面白そうな本を見つけた時、ディズニーランドに行った時、自分では参加しませんがハロウイーンの仮装。特に、ディズニーランドは非日常の世界を感じます。気分転換には良いですね。ハロウイーンの仮装は仮装で自らを隠し自分を主張する気分ですね。良く探してみると意外にも例外は身近なところに、また自分の中にも存在するのですね。
 今回、例外は意外と身近に存在するのでは、というお話しでした。

  例外の話 第12回目 【院長】 2017/12/07
 例外の話12回目です。
 今回は例外を受け入れことの大切さについてです。
 第7回の例外の話で仲間はずれとしての例外について書きました。また、例外であっても、その特長が生かされ、角頭を現し、のびのびと才能を伸ばし、活躍できる柔軟性のある集団や社会は発展的で魅力的ですね、とも書きました。
 もし、特長ある例外を仲間はずれとして排除してしまったら、折角のすばらしい才能が生かされません。それは社会の損失です。では、例外を受け入れる柔軟性のある集団や社会とは何か具体的に考えてみましょう。まず集団や社会の具体的な場所としては家庭、学校、職場、町会などの地域社会、そしてもっと大きな村、町などの社会です。実際に影響力を持つのは家庭、学校、職場でしょうか。中でも家庭、学校の存在は大きいでしょう。職場でも、トップやトップに近い人には特に必要な気がします。
 では柔軟性とは何でしょう。個人的な見解ですが、それは例外を認めて受け入れる寛容性と考えています。寛容とは、goo国語辞典によりますと“心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。”とありました。私にとっては耳が痛くなる説明です。日頃の行いが問われますね。また、寛容に加えて忍耐力も必要ではないでしょうか。寛容を支えるには忍耐力も求められると思います。
 寛容性が求められる場所としては家庭ですね。つまり子供にとっては両親、兄弟、姉妹が大切な存在です。特に寛容な両親の存在が重要であることは論を待たないでしょう。さらに学校の先生にも“ちょっと変わった子供”を受け入れる寛容性と忍耐力を持って欲しいですね。
 今回は例外を受け入れることの大切さについての個人的な考察でした。

  お薬の話 ~ ヒルドイド 【スタッフ】 2017/11/10
 薬剤師らしいことを書いてみようかと考えていて情報収集に明け暮れご無沙汰してしましました。
 ブログが「例外の話」ばかり続いていて肩がこってきていたかもしれませんね。そこで気晴らしといいますか、気張らずに読めるものを書いてみようと思います。
 では早速、今回は「ヒルドイド」という塗り薬をテーマにしてみます。テレビなどでも騒がれ始めていて話題になっているので、私もそれに乗っかる形で薬剤師目線からお伝えしようと思います。ヒルドイドは血行促進・皮膚保湿剤として製薬会社のマルホさんが作っている塗り薬です。対象となる皮膚疾患に対して医師の処方で使うことのできる医療用医薬品です。クリーム、ソフト軟膏、ローションと3タイプあります。成分は”ヘパリン類似物質”というもので、皮膚の悪いものを早く治すような強い効能があるわけではなく、皮下の血流を良くして皮膚の回復力を手助けしたり、水分を皮膚にとどめて保湿するといった緩やかな作用を持っています。
 ですので本来は特別視するお薬ではないのですが、最近誤った方向で注目を集めてしまっています。どういうわけか”美容効果”があると広まり、化粧品感覚で使う女性が増えているというのです。これが問題となっています。理由を想像できるでしょうか?
 結論から言いますと、3つの問題があります。それは適応症の問題、医療費の問題、副作用の問題です。まず、適応症とは薬の効果が確かめられていて使うことができる病気のことです。ヒルドイドでは美容効果という記載は添付文書(医療者向けの説明書)には載っていません。そもそも美容は病気ではありません。病気ではないのに薬を使うことは医療法上認められないことです。これは次の医療費の問題にも関わってきます。医療費とはつまり医療保険のことです。病院にかかるときに保険証を提示すると支払う金額が一部だけで済みますよね、それです。病気を治療するためのお金の心配を減らしてくれる日本の素晴らしい仕組みなのですが…ヒルドイドは医師の処方が必要なので保険証を利用する形になります。先にも書きましたが、本来であれば病気でないことには薬は使えませんし、医療保険も病気の時のためのものです。美容目的ですから使用する量が多くなり、処方量の多さが問題になっています。例えばソフト軟膏25g入りのチューブタイプを何十本も要求するといったことが見受けられるようです。10本処方したらいくらくらいなのか計算してみますね。1本592.5円×10=5,925円 保険証で3割負担なら支払う金額は1,778円、残りの4,147円は医療保険からです。これを際限なくやっていたら医療費は膨らむばかりです。この医療保険の財源はご存じでしょうか?私たちの保険料と税金です。病気では無い人、つまり美容に沢山使われるなんて悲しくなります。
 そして3番目として、むやみやたらに多量に使っていては副作用が出る心配が出てきます。ヒルドイドは緩やかな作用で安全性は高いとは言え、副作用はゼロではありません。適切な使い方をしても副作用が出てしまった場合は救済措置がありますが、多量に使った場合には自己責任ということになりかねません。
 こうした問題に対して、今後は対策が講じられることになりそうです。医療保険において処方量の制限がされることが予想されます。皮膚疾患で適切に使っている方々が影響を受けるのではないかと不安の声を見受けますが、その方々には影響を及ぼさないので安心してほしいです。最後に、美容効果があるかどうかは私としては否定も肯定もしませんが、そういったことで使用したい場合は同じ成分のものがドラッグストアで販売されていますのでそちらを購入することが望ましいでしょう。
 
  例外の話 第11回目 【院長】 2017/11/06
 例外の話、第11回目です。
 今回は例外中の例外についての話です。
 第5回目の例外の話で、例外の割合は20回に1回位 (5%) あるいは100回に1回位 (1%)ではないかと書きました。従って、例外中の例外になると、それぞれを2乗して、400回に1回か10000回に1回位の確率でしょうか。この確率で起きる自然現象を探してみました。気象庁によりますと2016年度の国内で発生した震度1以上の地震の発生回数は6587回、そのうち震度5以上は33回でした。この地震の確率は約200回に1回の割合です。震度6以上は15回で約440回に1回となります。
 また、ネットで調べたのですが、極めて希(ごくまれ)に起こるL2地震とよばれる地震があります。これは500年に1度位で起こると言われています。この地震の規模などをもっと知りたかったのですが詳しい説明はありませんでした。1586年の天正地震はM8からM9程度と推定されL2地震に相当すると思われます。今回の東日本大震災はM9でしたからL2地震相当と言えます。ちなみに、まれに発生する地震がL1地震、L2を上回る巨大地震をL3地震と言うようです。おそらくL3地震は10000年に1回位でしょうか。例外中の例外の地震はL2地震かL3地震に相当すると思われます。しかし、近い将来発生が予測されている南海トラフ巨大地震はM8かM9程度と言われています。もし、日本周辺で短い間隔で巨大地震が起こるとすると、近年の地球、特に日本周辺には異常事態が起きていると言うことでしょうか。
 一方、人間についてはどうでしょうか。天才の現れる頻度は将棋界では400年に1度のようです。先日、将棋界に現れた藤井聡太君は四百年に1度現れる天才棋士とNHKの特集番組で言っていました。天才棋士の出現頻度はもっと多い気がします。彼はおそらく天才中の天才ではないでしょうか。つまり例外中の例外です。
 例外中の例外をさらにいろいろな分野で調べたら面白いかも知れません。今回は例外中の例外についてほんの少しだけ考えてみました。

  例外の話 第10回目 【院長】 2017/10/16
 今回は例外と誤診についての話です。
 誤診についての説明は必要ないと思います。あまりあってはいけないことです。いや、決してあってはいけないことです。しかし、医師も人間ですので完璧ではありません。間違いを犯します。つまり、誤診はあってはならない間違いと言うことです。
 では間違いはどうして起きるのでしょうか。大きな要因としては二つ考えられます。一つは知識や経験不足です。これらを自覚しないまま診断してしまう結果、誤診が起こります。もう一つは自信過剰です。油断が生じて細かい診断過程を飛ばしてしまいます。その結果、診断の方向や内容を間違える、と言うことになります。端的に言えば手抜きの結果です。個人的なことですが、どちらも経験があります。今となっては取り返しのつかないことですが、反省して今後の診療に生かすように努力しています。
さて、もう一つ誤診の要因を考えてみました。それは病気の診断が難しい時です。希な病気、これまで知られていない病気の場合です。つまり、例外です。例外の病気に遭遇したときは、診断が非常に難しくなると思います。そのため誤診に結びつきやすいのです。結果として誤診では容認されません。焦らずじっくり腰を据えて、病気の細部に切り込み、時には新しい発想で取り組むことが必要と思います。例外には思慮深い慎重な対応が必要ですね

  例外の話 第9回目 【院長】 2017/09/12
 今年の夏は7月が猛暑、8月が長雨でしたので少し体調を崩された方も多かったのではと思います。皆様はいかがでしょうか。 
 今回は例外と独創性についてお話しします。
 その前に、例外と少数例について第4回目でお話ししました。その中で“小数例はそれ自身固有の特徴を持っていると考えた方がよいかもしれません。そうなると少数例はかなり例外に近寄った例と考えられます。ほとんど同じと考えておきましょう。少数例を説明するのは意外に難しいかもしれません。今後もっと深く考える必要があるようです”、と話しました。さらに第5回目で少数例について“しっかりした説明は出来ませんが、少数例とは例外とまでは言えないが通例の中で特徴の有る集団と考えておきます。”ともお話ししました。
 今回は、まず少数例について再考します。第4回目で“少数例とはそれ自身固有の特徴を持っていると考えた方が良いかもしれません”という意味のことを述べましたが、固有の特徴とは独創性と考えても良いかもしれません。ただし、少数例イコール独創性ではなく、独創性イコール少数例という意味です。かの著名な湯川秀樹氏がNHKテレビ番組の中で“独創性は常に少数で決して多数ではない”と述べていました。その通りだと思います。次に少数例は例外に近寄った例と考えると、例外は独創的な発想を持つ例と考えても良さそうです。ただし、例外的な発想が全て独創的とは言えませんね。逆に独創的な発想は例会的な発想とは言えそうです。現在取り組んでいる統計学も独創性が求められます。たとえ例外となっても独創性の追求は止められませんね。

  例外の話 第8回目 【院長】 2017/07/25
 こんにちは、例外の話の第8回目です。今回は例外が例(通例)になる可能性の話です。
 その前に、例外について少し復習します。例外の話の第1回目で述べましたが、Goo国語辞書によると、例外とは通例にあてはまらないこと。一般原則の適用を受けないこと。決まりや法則が及ばないものと説明されています。つまり、例外とは想定外のことです。
 皆様は“鳥肌が立つ”の使い方について考えたことがありますか。以前から“鳥肌が立つ”とは寒さ、恐怖などによって皮膚に鳥肌が現れること、という意味です。最近、といっても5,6年前に、野球中継で解説者が選手のファインプレーに“鳥肌が立った”を使っていました。最近では演劇、映画などの芸術でも、感動したときに“鳥肌が立った”という表現を聞くことがあります。私は“鳥肌が立つ”を感動表現とは思っていませんでしたので、違和感を覚えました。誰が何時から“鳥肌が立つ”を感動表現として使用したのかはわかりませんが、どんな理由で使用したのか聞いてみたいです。勝手な解釈ですが、“鳥肌が立つ”は興奮した時や神経が高ぶった時の表現と思えば良いかもしれません。これなら恐怖の時でも感動の時でも使えると思います。感動したときの使用法は私にとって想定外でした。おそらく一般的にも例外的な使われ方だったと思います。しかし、いまではごく普通に感動表現として用いられているようです。感動表現の“鳥肌が立つ”に対する違和感は薄れています。
 今回は例外が例(通例)になった、と思われる話でした。

  例外の話 第7回目 【院長】 2017/07/14

 こんにちは。今回は例外の話の第7回目です。
 例外の話第3回目で、例外は集団の中では違いが目立ち、浮いた不安定な存在となる、と書きました。そのため集団の中で安定を求めるためには例外的な要素は出来るだけ少なくした方がよいかもしれません、とも書きました。他の人と違いが目立った存在は、周囲に好印象というよりは違和感を与え易くなると思います。違いが目立った存在であっても静かに大人しくしていれば、まだ良いかもしれませんが、その違和感が角頭を現し存在感を増してくると、出る杭は打たれる、ことになりそうです。上からばかりか仲間からも煙たく思われるかもしれません。頭を叩かれて、そのうえ仲間はずれにされたりしたら、気分悪いですね。出来るだけ例外的な要素を薄くしているほうが安全ということでしょう。あくまで一般論としてですが、日本の社会は周囲に気を使って、その場の雰囲気を察知し、その場に溶け込むことが求められます。少し前にKY(空気読めない)という略語が流行りました。空気読めないとは、周囲に対する状況判断が鈍く、配慮が足りない無神経なことを意味します。そのため集団の中では、KYの人は違いが目立ちますね。例外です。例外であっても、その特長が生かされ、角頭を現し、のびのびと才能を伸ばし、活躍できる柔軟性のある集団や社会は発展的で魅力的ですね。今回は仲間はずれとしての例外を考えてみました。ではまた。

  次は私からの報告です 【スタッフ】 2017/06/12
 ご無沙汰している間に、どうやら梅雨入りしたようですね。お伝えしなければならないこともあるのにのんびりしすぎていました…
 まずは、この度正式に、日本糖尿病療養指導士になりましたことをご報告致します。これからはこの資格により当院の発展に貢献できるということで気の引き締まる思いです。
 もう一つ、6月から診療日時が変わったことにお気づきでしょうか?これまで土曜日は隔週でしたが、毎週土曜午前を診療することと致しました。第2,第4土曜日に間違えて来ちゃった、なんてことはもうありませんよ!
 また、診療開始時間も午前午後ともに30分早めています。これまで通り予約制にはしていませんので、よりご都合に合わせやすくなれば幸いです。
 最後にここだけのお話しをちょっとだけ。
 「午前と午後どちらが空いていますか?」とお問い合わせ頂くことがあります。現在のところ、比較的午前中の方が混み合うことが多いように感じます。時々は午後が忙しくなることもありますが。
 後はお天気の影響や周囲が休診している木曜日などは少し動向が変わりますね。
 ご参考までに……

  近況報告 【院長】 2017/06/08
 こんにちは。しばらくブログを更新しておりませんでした。今回は“例外の話“はお休みとし、当院の近況をご報告したいと思います。
 当院では毎月一回糖尿病勉強会を行なっています。これまで25回行ないましたが、最近の24回(今年の5月)、25回(今年の6月)は管理栄養士さんに担当してもらいました。この方は他の病院にお勤めで、そこで管理栄養士として働いていらっしゃる方です。普段は病院で患者さんの栄養指導を行なっております。当院での勉強会に興味をもって22回頃から参加されていましたが、せっかく資格をお持ちですので講師をお願いしましたところ快諾して頂きました。2回の勉強会では食事療法についてお話して頂きました。基本的な栄養素の話から食品交換表の話まで、患者さんの感想は、分かりやすく理解しやすかった、とのことでした。大変勉強になり今後の治療に活かせるとおっしゃっていました。また、機会を作ってお話し頂くことにしました。次回は7月2日(日)で、私が担当します。日時、内容はホームページに掲載されています。
 次に、統計学の研究の進行状況のご報告です。約1年半前に千葉大学大学院理学研究科数学・情報数理学コースの汪先生と協同研究を開始しました。これまでに、汪先生は昨年のスペインで開催された2016年国際計算機統計学会(英語で発表)、2017年度日本計量生物学会(今年の3月名古屋)で発表されています。現在は論文を執筆中です。数理統計学的とベイズ統計学を融合させ、データ解析に新しい手法(論理)を提案しているものと理解しています。数学的にはかなり高度ですので、ここで私が易しく解説できるものではありません。この研究を踏まえて私は医学分野、特に糖尿病の診断に新風を吹き込みたいと考えています。そこで私も論文執筆に着手しました。当分の間は文献検索や医学と数学を結合させた論理構成に頭と時間を使うつもりです。
 次回は例外の話に戻ります。 

 例外の話 第6回目 【院長】 2017/03/13
 今回は例外の第6回目です。前回は例外の頻度について考えてみました。今回は例外とめったにない症例(患者さんのこと)について考えてみます。
 臨床医学では患者さんを症例 (ケース、case)と言います。一般的によく遭遇する病気の症例はcommon case と言い、めったにない病気の症例をrare case と呼んでいます。Rare caseは症例報告の対象となります。症例報告とはめったにない患者さんのこと(症例)について病気の頻度、発症過程、特徴、診断、治療などを纏めて報告することです。
 めったにしか経験することのない症例は、症例報告をすることでその特徴を他の医者が間接経験し、次にその医師が同じような症例に遭遇した時、参考になることを期待して行われます。めったにない症例を報告することにより、他の医師と知識を共有できることになります。報告する医師にとっては、このようなまったにない症例は診断が難しいため、診断に至るまでに深い思考、幅広い医学的知識や特別な検査を必要とし、時間、労力、気力を必要とすることが多いのです。つまり、病気を診断するまでの過程が医者にとって大変勉強になるため貴重な症例と考えら、研修医や経験の浅い比較的若い医師が報告をすることが多いのです。また、症例報告は患者さんひとりひとりを大切にする心構えを学ぶ機会にもなります。報告を読む医師にとっては楽をしてめったにない症例を学べることになります。先ほど、症例報告は若い医師がすることが多いと言いましたが、経験豊富な医師にとっても症例報告は重要で有り、生涯続ける必要があると考えられます。その意味で医師は生涯研修医と言えましょう。私は60歳を過ぎてから症例報告を行ったことが有ります。少し薹が立った医者ではありますが、生涯研修医の気概を示したかったからです。
 今回は例外的な症例(rare case)が役に立つことを考えてみました。

 春が来る前に 【スタッフ】 2017/03/06 
 春の足音が聞こえてこないかと、耳を澄ましている今日この頃。花粉が舞い広がる騒がしさで聞き逃してしまいそうです。

 まず一つ報告で、先日、糖尿病療養指導士の試験を受けてきました。結果はもう少し先になりますが、良い報告ができればいいなと思いつつ、あとは待つほかありません。

 さて、書き出しでもふれましたが、花粉症がある方にとってはつらい時期になってきたようですね。私はならずに済んでいるので人ごとのようになってしまっていますが。花粉症のお薬をもらいに来る方が増えてきているので、そういう時期が来たんだなぁと把握している次第です。
 そんな中で、「いつもは耳鼻科でもらっているんだけど、内科でも出してもらえますか?」と聞かれることがあります。花粉症は鼻や目の症状が強いために、そちらがメインの診療科へかかっているケースはよくあります。答えは、内科もOKです。何の問題もありません。花粉症は、花粉に対するアレルギーですので、アレルギーは内科の診療範囲になります。
 そういうわけで、花粉症で当院を受診されている方は何人もいます。このような形を通して、かかりつけの医院となるきっかけにしてくれたらいいなと思っています。

 インフル注意報 【スタッフ】 2017/02/03
 あけおめから早1ヶ月が経ちますね。私がここに書くのはそれ以来で…月に1度は書くようにしないとな!
 さて本題に入りますが、冬もまっただ中となり、インフルエンザの患者さんを当院でもちらほら見かけるようになってきました。インフルエンザの検査キットを常備しており、私はその検査のお手伝いもしています。ということは、私自身がもろにウイルスに接する機会が増えるんですよね。だからといってホイホイ感染していられるわけもなく。検査の都度手洗いし、帰宅後は手洗いうがいを欠かしません。一応ワクチンも接種済みですが、それは念のための保険みたいな。おかげで今のところ風邪すらも引いていません。このままの状態を維持していきたいですね。
 現在はインフルエンザAが猛威を振るっていますが、そろそろBの方も顔を出してきそうなので、3月くらいまでは気を抜かないようにしないとです。「手洗い・うがい」当たり前のことで、もはや耳タコな言葉かもしれません。だけれども、これが一番の撃退法で私のお墨付き。皆さんも習慣になるくらいやっておきましょう!!

 例外の話 第5回 【院長】 2017/01/13
 例外の話の第5回目です。
 前回の少数例の話は難しかったようです。しっかりした説明は出来ませんが、少数例とは例外とまでは言えないが通例の中で特徴の有る集団と考えておきます。
 今回は例外の頻度について考えてみます。頻度と言えば統計学です。統計学的には、おおよそ1% から5% に入る例を起こりにくい例と考えるようです。すこし幅がありますが、おおよそ100回に1回、あるいは20回に1回です。一般的には後者の20回に1回、つまり5%位が例外として考えられているようです。例外を感覚的に捉えるならば、あまり起きない珍しい事象と言えます。一般的には起こって欲しくない事象とも考えられます。しかし、反対もあります。宝くじを例にあげましょう。宝くじに当たるとは例外を引き当てることです。例外に賞金が付いているからです。高額の当選確率は20回に1回どころでなく、ずっと低くなりますが、こちらは起きて欲しい事象です。身近な例をもう一つあげましょう。お年玉年賀はがきの切手シートが当たる確率は、当選番号が下二桁の数字でそれが2個ですから百分の二となり五十枚に一枚となります。つまり2.0%です。
 余談ですが、私が医者になりたての頃、ある病院の院長先生が、良い医者は20人に1人位だよ、と言った言葉が記憶に残っています。よい医者をどう考えるかは一概には言えませんが、例えば病院の経営者である院長としては、良い医者とは患者さんのためによく働き収益の多い医者と考えられます。そういう良い医は、統計的に考えると例外的な医者と言うことになります。実際は如何でしょうか。良い医者の割合が珍しい事象、つまり例外的ということは少し残念なことに思えます。今回は例外の頻度を考えてみました。次回に続く。

 新年の診療スタートです! 【スタッフ】 2017/01/06
 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は様々な経験をさせていただき、少しずつですが成長を感じることができました。
 困難なことへ挑戦するとなると、駆け出しは出遅れ気味で進行も人より遅いのですが、あせらず自分のペースを保てる精神力の強さでドロップアウトやリタイアすることなく着実にたどり着いてきました。気づいたら周りの方が失速していて、追い抜いていることもあります。
 私は、ウサギとカメでいう、カメさんなんですよね。それだからこそ今の私があるのだと思います。
 今年もまた変わらないペースで前へと歩んでいきます。ほさか内科医院で、患者さまの健康に寄り添いつつ、私の挑戦は続きます。

 例外の話 第4回目 【院長】 2016/11/29
 今回は例外の話の第4回目です。
 前回は例外の反対の言葉を考えてみました。今回は例外と通例の間を考えてみましょう。はたして、例外と通例の間に存在する例はあるのでしょうか。例えば、小数例について考えてみます。つまり少しは存在する例ということです。それを単に数が少数な例と考えてもよいのですが、例外と通例の間に存在するどちらにも属さない中間的または移行過程の例と考えてみます。従ってどちらの特徴も少しずつ持っている例と考えられます。例外の特徴は通例ではなく、一般原則の適応を受けないこと、一方通例の特徴は一般原則が適応できること、になります。この両者を有するとなると、どうやら少数例とは矛盾の塊になってしまいます。だから、小数例はそれ自身固有の特徴を持っていると考えた方がよいかもしれません。そうなると少数例はかなり例外に近寄った例と考えられます。ほとんど同じと考えておきましょう。少数例を説明するのは意外に難しいかもしれません。今後もっと深く考える必要があるようです。(次回に続く)

 例外の話 第3回目 【院長】 2016/11/10
 今回は例外の話の3回目です。
 例外の反対の言葉として、例内という言葉は存在するのでしょうか。いろいろな辞書を調べてみても存在しないようです。通例にあてはまらないこと、一般原則の適用を受けないことが例外であるのに、通例があてはまり、一般原則が適応できるという意味の言葉が存在しないのは不思議ですね。おそらくそれに該当する言葉は通例でしょう。通例とは容易に直ぐ頭から引き出せ、身近に在る例、と考えられます。しかも、通例は一般原則が適応できることに加えて通例どうしに共通する部分がある、と考えられます。共通する部分とは考え方、容姿、周囲の環境、過去の歴史などに存在するもので、これが存在するために通例同士お互いが安心したり安定したり出来るのでしょう。集団の中で安心し安定して存在するためにはこの部分は欠かせません。これとは反対に例外は集団の中では違いが目立ち、浮いた不安定な存在となります。安定を求めるには例外的な要素は出来るだけ少ない方がいいかもしれません。例外として存在するためには強い精神力が必要でしょう。(次回に続く)

 例外について 【院長】 2016/10/06
 今回は例外の2です。
 これまでの人生を振り返って、自分について考えてみますと、やはり自分は通例に当てはまり難い人間である気がします。しかし、私の全部が全部例外であった訳ではありません。他人と全くかけ離れた人間とは考えにくいので、例外的な面を持っている人間、と言った方が正確でしょうか。それは発想であったり行動であったりでした。例えば、発想が違うな、と思った時は小学校5年生の国語の授業の時でした。先生が段落のまとめを生徒に質問した時に、多くの生徒は短い文章でまとめていたのですが、自分はたった一言の単語で済ましていました。これが先生や他の生徒から見るととても奇妙な発想だったようです。つまりたった一言の単語で段落をまとめることは無理ではないか、と思ったようです。自分としてはこれが自然な発想だったのですが。この時、子供ながら他人と発想が違う、と感じました。また、中学校を卒業する時に残す卒業生の言葉を書いた時のことでした。努力、雑草のようになど人生を励ます言葉や有名な人が残した言葉などが多かったことを記憶していますが、私が残した言葉は“人には色々な面があるので人に対する見方は一面的になってはいけない”といった少し独創的(?)なものでした。例外的な発想の私でしたのでこのような言葉が浮かんだのでしょう。今後も例外を大切にして人生を謳歌したいと思っています。(次回に続く)

 余談 【院長】 2016/10/06
 余談の続き
 当院のブログは院長の私とスタッフの意見で構成されています。私のテーマは統計学の話、コレステロールや血糖値の話、そして余談です。余談は何を書いてもよいのでテーマとは言えませんがこれからは的を絞って“例外の話”にしたいと思っています。今回は例外の話の一回目とします。
 これから例外という言葉について考えて行きたいと思います。よく分かりませんが、例外という言葉はわたし(自分)にはとても親しみの持てる言葉です。子供の頃から、自分は他の人とは何となく違う、といった感覚を持っていました。自分の行動を他の人の行動と比較した時や自分の考え方を他の人の考え方と比較した時に湧いたぼんやりとした感覚です。
 goo国語辞書では、例外とは、通例にあてはまらないこと。一般原則の適用を受けないこと。決まりや法則が及ばないもの。「―として扱う」「―を設ける」「―的に参加を認める」という説明がありました。例の外で通常にあてはまらない、またはあらかじめの想定から外れたものとも言えます。一方、例外のない規則はない、という慣用句もあります。どんな規則にも例外がある、という意味ですから規則を作っても例外は必ず存在する、例外を無視できない、ということでしょう。英語では There is no rule without exception.高校生の時に習いましたね。例外を特例と比較すると例外の意味がより分かりやすくなります。例外は先ほど説明しましたので特例について説明します。特例とは特別な例、特別な決まりや法則のこと。あらかじめ想定して決めたものと説明されています。例外は想定外か、特例は想定内と言うことです。少し拡張して個人的な感想を述べれば、例外的な存在でも姑息にならないでいいとも考えられます。(次回に続く)

 糖尿病勉強会って何してるの?? 【スタッフ】 2016/10/04
 ・・・という声がどこからともなく聞こえてくるような、空耳ですかね。ホームページにも案内のページを設けてはいますが、それだけではいまいちイメージがわきにくいかもしれませんね。

 この糖尿病勉強会は昨年4月からスタートしまして、先日18回目を終えました。約1年と半年間継続していて、毎回4~8人くらいの方がお越しくださっています。毎回来られる方、時々来られる方、初めて来られる方とその都度顔ぶれは変わります。”糖尿病勉強会”という堅苦しそうな名前ですが、こちらからの一方的な説明だけとうわけではなく、患者さんからの質問が飛び交ったり、患者さん同士が交流を深める場でもあります。いわゆる患者会の一種です。いずれ名前は変えるべきだなとは思います。名前を募集したいくらいです。

 そして毎回テーマを設けていますが、先日10/2の場合は「基礎から考える食事の話」でした。この回ではアイスと血糖測定の機器を用意して、アイスを食べる前と食べた後30分後に血糖を測定してもらいました。甘いものを食べることで血糖の変動がどうなるのかを実際に知ることで、より関心が高まってもらえればと企画しました。

 普段の診察では長くお待たせしないことを意識していますので、一人あたりの診察時間はどうしても限られてしまいます。勉強会を設けることで、もっとお伝えしたいと思っていることをじっくりとお話することができますし、患者さんからのご意見をゆっくりお伺いすることもできています。何より、保坂先生ご自身が楽しんで企画されていますので、その雰囲気のおかげか和気あいあいとしている会だなと私は感じています。

 今後も引き続き、様々なテーマで行っていきますが、一度行ったテーマも繰り返し実施していく予定です。毎月1回、第一日曜日午後3時~4時に行っていますので、ご興味のある方は都合の付く回だけでもかまいませんので足をお運びいただけると幸いです。

 ブログに書くこと考え中 【スタッフ】 2016/09/14
 セミの鳴き声がすっかり聞こえなくなり、肌に触れる空気も涼しく感じるようになってきました。

 そんな季節の変わり目に差し掛かっていることもあり、体調を崩される方が増えているようです。喉の痛みや咳など呼吸器系に影響が出ている方が多く見られます。体調管理をおろそかには出来ない時期だと思います。

 私も手洗いうがいを毎日欠かさず行って元気な姿で患者さんに向き合えるよう努めています。幸い開業以来一度も体調不良でお休みしたことはありません。そういえば高校生のときくらいから無欠席だったように思います。風邪らしい風邪を引いたのはいつだったかな…

 このブログに何を書いていこうか考えているのですが、ポツポツとアイディアは浮かびつつもまだ文章としてまとまりきってはいません。薬剤師らしく薬の話を書くのもよし、糖尿病勉強会の報告を書くのもよし、その他医院に関する事ならなんでもよし。なのでもう少しじっくり練りこみます。お楽しみに!

 統計学、その後 【院長 2016/08/30
 前回のブログには昨年の江戸川区医師会誌に統計学を始めた記事を書きましたが、今回はその後の経過をお話したいと思います。統計学を始めたのは、集団を対象として統計学的に得られた知見を個人に還元するのはどうすればよいか、を知りたいのが理由でした。そのため平成27年4月千葉大学理学部に統計学の科目履修生として入学しました。一年間勉強してから、科目担当の汪金芳教授に私の考えをお話しました。幸いにも汪先生は私の考えを理解され、さらに、それを研究レベルに引き上げてくださいました。とても嬉しかったですね。それが今年の3月です。その後、何度も汪先生とお会いして討論を重ねました。私にとっては大変難しい数学的な思考、数式を汪先生はすらすらと示されました。正直なところ理解してついて行くのがとても大変でしたが、何とか分かったふりをして討論に参加させて頂きました。6月には、汪先生はこれまでの研究成果を今年の8月にスペインで開催された国際計算機統計学会に発表される予定を立てられました。そして、先日発表されました。もちろん英語です。私は共同研究者として頂きました。とても光栄です。先生が帰国されたら、さらに研究を重ね論文として報告できるように努力したいと思っています。具体的な内容を論文としてお示し出来ればいいですね。まだまだ先ですが。

 ほさか内科医院の特徴 【スタッフ】 2016/08/03
 薬剤師兼、医療事務のスタッフです。

 梅雨が明けていよいよ夏本番となってきましたね!そんな8月から、江戸川区にお住いの65歳以上の方の国保健診と75歳以上の方の長寿健診が始まりました。対象の方には江戸川区から受診票が届いているかと思います。10月までの3か月間、当院でも受け付けていますので積極的に利用していただきたいです。

 この健診を実施していることや地域性から、当院に来られる患者さんはご高齢の方が多いように感じます。最寄駅は都営新宿線船堀駅ですがそこから徒歩約20分と少々離れた場所にあります。バスを使えばJRの駅からも来ることができますが、そこまで交通の便が良い立地とはいえません。そのため来院される患者さんは近辺に住まわれている方が大半となっています。商店街や小学校も近くにはあるのですが、やはり周辺地域の特性としてはご高齢の方が多く潜在されているようです。

 そういったご高齢の方の中には、距離の遠さや混雑等で病院への通院が困難になっていることが多いようです。そこで当院が徒歩で通院できる圏内であったり、往診にも対応していることもあり、違った意味での利便性があるといえます。

 ご高齢の方の場合、糖尿病を患っていることも多く、今後ますます増えてくることが予想されています。それに反してこの近辺には当院のような糖尿病を専門としたクリニックは少ないのが現状です。そのため、専門としていない内科のクリニックが糖尿病を治療しているケースも多く見受けられ、本来は片手間で治療できる領域ではないのになと危機感を覚えることもあります。このような手薄になっている領域をカバーできることが当院の強みだと思います。

 糖尿病で来られるのはご高齢の方だけでなく、若い方や中高年の方など世代を問わず様々です。病院ほど堅苦しくなく専門治療を受けられるので、気兼ねなく前向きに通院されている方が多い印象です。最近では、病院の方からの逆紹介で来られる方も増えてきており、必要とされる領域であると実感しています。

 また、消化器系に関しても専門として標榜しています。消化器内科(類似名称;胃腸科)を標榜しているクリニックは珍しくありませんが、専門資格の有無に関係なく標榜できるので内科に毛を生やしているだけのクリニックもあるかもしれません。当院の場合は、専門の資格を持った医師ですので、三本柱の一つとして掲げています。

 したがって必然的に内視鏡検査等の希望も多く、その場合は江戸川区医師会医療検査センターへ依頼しています。内視鏡の機材は目まぐるしく進歩しており院内に設備を設けることが難しいため、検査センターへ依頼する形をとっています。検査結果は当院に戻ってきますので、それを基に専門的知見から判断しています。内視鏡検査は「苦しい」「辛い」というイメージを持たれている方もいるようですが、実際に検査を受けてこられた方の感想をおうかがいすると、「楽だった」「あっという間だった」といった声をお聞きしています。ですので検査センターへは安心して依頼できています。内視鏡検査まではいかなくても、エコー(超音波)検査やCT検査(検査センターへ依頼)で判断する場合もあります。

 以上のように専門を二つ掲げてはいますが、当院の名前は『ほさか”内科”医院』となっています。これは、地域に根付くためにはやはり内科全般を診療できることが基盤として重要だからです。ご高齢の方ですと、いくつかの病気を合併されている場合が多く、一つだけでなく全体を診ていくことが必要です。誰にでも起こりうる風邪の症状はもちろんのこと、高血圧や脂質異常症などの生活習慣病で定期的に通院されている方もいます。

 ホームページをご覧いただければ分かりますとおり、脂質異常症(コレステロール)に関しては力をいれていますので、最近関心が高まってきていることもあり、わざわざ遠くから足を運んでくださる方もいらっしゃいます。こんな小さなクリニックでも注目される部分があるのだと気が引き締まる思いです。

 余談ですが、診察を終えて会計しているときに、「先生がよく話を聞いてくださって、早く来ればよかった」とか「薬は最小限にしてくれるので、たくさん飲まなくていいのは助かる」といったことおっしゃて下さる方もます。その言葉を聞くと私も一緒にうれしくなります。

 そんな患者さんのために、患者さんの声に耳を傾け、患者さんの身近にある医院としてこれからも最善を尽くしていきたいと思っています。

 スタッフ初投稿です 【スタッフ】 2016/07/21
 ほさか内科医院のスタッフとして初めて書かせていただきます。

今のところスタッフは私一人なのですが、私は薬剤師であり医療事務の資格も持っていますので兼任しています。

 当院は糖尿病の専門医院ですのでインスリン等の注射薬に関しては院内で処方しています。注射薬の管理には細心の注意が必要ですので、薬剤師として管理から投薬まで行っています。また、それにともなった血糖自己測定の機器類の管理も行っています。その他にも検査薬や点滴などもありますので院内の医薬品については安全に取り扱えるよう努めています。

 このように外来のみのクリニックで、看護師ではなく薬剤師がいるという体制は珍しいかもしれません。院長の考えとしては、診療行為は自らがすべてを担えるけれども、医薬品や医療事務に関しては範ちゅうをこえるのでそこをしっかりと補ってもらいたいという方針のようです。

 私が薬剤師なら携わることの多いであろう薬局ではなくこの医院を選んだのには、院長の方針に合っていたことに加えて、ここだからこそ目指せる目標があったからです。 

 それは、「糖尿病療養指導士」という資格の取得です。これを受験するためにはいくつかの条件があり、簡単に説明しますと、まず薬剤師などの決められた医療資格をもっていること、そして2年以上継続して勤務しその間に規定の時間以上を糖尿病患者さんと直に接して治療に携わっていること、専門医のいるところであること、といったものです。

 当院は開業から3年目を迎え、すべての条件がそろいました。来年の3月には受験する予定ですので、現在はそれに向けて勉強に励んでいます。

 この試験に合格し資格を取得できれば、糖尿病に関してはスペシャリストの薬剤師になるということです。そうなったら、医院としてもより格が上がった医療が提供できるようになるのではないかと意欲に燃えています。

 余談です。 【院長】 2016/07/18
 今回は余談です。
昨年(2015年)の江戸川区医師会会報321号(2015年11月発行)に投稿した随筆をそのまま掲載します。この随筆を投稿した後、今年(2016年)の3月から千葉大学理学部数学科の汪教授との共同研究がスタートしました。まだ具体的な成果は出ていませんが、成果が見られましたら掲載します。随筆は以下です。

 小さな決意
保坂成俊(ほさかしげとし)第3支部

 私は今年の3月に小さな決意をしました。その決意とは〝ある目標を達成しよう“ということです。その目標を15年くらい持ち続けています。しかし、いつになっても達成できそうもなく、その気持ちに区切りをつけるために決意しました。気持ちを持続させるため、大学の科目履修生になって基本的な勉強から始めようと考えました。休診日の午後、大学へ赴き二十歳位の学生と授業に臨んでいます。なぜか歳の差は感じません。ご存知の通り、科目履修とは学びたい科目のみ履修出来る制度で、一度大学を卒業していれば入学の基準は厳しくはありません。選んだ科目は統計学です。いま流行りの統計学ですが、興味は約46年前の学生の時に受けた数理統計学まで遡ります。現在の私の年齢は66歳です。

 私は医師になる前に農学部を卒業しました。農学部では数理統計学は必修でした。現場で役に立つ学問と考えられていたからだと思います。しかし、就職先は大学の基礎医学研究室でしたので、統計学は研究データの解析に利用したくらいでした。約10年の研究生活の後、医学部に再入学しました。卒業後は臨床医になったのですが、統計学はむしろ臨床医になってからの方が必要でした。臨床研究データの解析は基礎医学の研究データ解析よりも複雑で難しいものです。また、臨床研究論文を理解するだけでなく、論文の作成のためには、しっかりした基本的な統計学の知識が求められます。浅い知識は通用しなかったのです。臨床研究で得られた成果を患者さんに適応する段階、つまり治療となりますと、ある問題が浮かび上がってきました。例えば血圧、コレステロール値、血糖値などが基準値より高ければ投薬を考えます。その場合、基準値より高い患者さん全員に投与する、と言った単純なものではありません。その患者さんの個別的特徴を考えて投与することになります。そこに、投与される患者側の個別的特徴に由来する基準が発生します。基準は医師の経験で設定されることが多いと思いますが、それをより客観的に解析したいと思いました。そのためには、さらに深い知識が要求される気がします。まだ具体的な統計学的解析手段は決まっていません。これからの課題です。

 西千葉駅に隣接する大学キャンパスは若さに溢れています。肉体的な若さは多少衰えても、知的若さは衰えることがありません。無限の可能性を信じて、〝投与される患者側の個別の基準を客観的に解析する“ことを、小さく決意しました。息長くギブアップすることなく地道に努力したいと考えています。

以上です。

 コレステロールの話 【院長】 2016/07/07
 コレステロールと病気の発生頻度について調べた疫学調査では、コレステロールは220mg/dl以上では心筋梗塞の発症が増加しはじめ、200mg/dl以下ですとがんなどが増加するようです。ただし、これらの結果は統計的に検証されたものではなく、あくまで傾向が有るといった弱いものです。しかし、コレステロールの治療にあたる際、特にコレステロールを低下させる時にはこのことを考慮しながら200mg/dl以上にコントロールすることが大切と思われます。薬の副作用につきましては、内服し始めて1か月以内に発生します横紋筋融解症などがありますが、頻度はまれです。私の経験では、軽度の筋肉痛が出現することは経験しましたが、その時点で中止し重大なことに至った症例はありませんでした。長期に亘って内服している方に横紋筋融解症が出現した経験はございません。

 これまで、コレステロール低下の薬を処方する時は、200mg/dl以下にしないようにしておりましたので、この点は確認できたと思います。現実的には多少200mg/dl以下になっても180mg/dl以上であれば、がんの発生頻度は低いようです。また、コレステロールの役割について語る時、その種類について言及しなければ片手落ちです。LDL, HDL, 超悪玉などを調べそれらの数値と超悪玉の有無の検討が必要です。この点は当院のホームページのコレステロールの話を参照下さい。

 ブログ(blog)始めました。 【院長】 2016/07/07
 ブログ始めました。日頃考えている事を掲載します。

 最近では、週刊誌で取り上げられた薬の記事に関心が有ります。少し違和感が有りますが、納得できる面もあり無視できません。後日、感想を掲載します。

 また、テーマを設定して連続で考えてみたいとも思っています。院長より